とある学生起業家の奮闘記

幾度もの挫折を経験し、学生で起業するという選択をした男の実録奮闘記。

 

逆境に強い人がいるんじゃなくて、逆境が人を強くする。

ねえ、自分の頭で考えて生きてる?

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本日は「自分の頭で考えることの大切さ」について綴ります。

 

昨今はあまりにも自分で考えることを皆放棄していると感じる。

 

考えていると入っても

「今日は飯何食おう」

「疲れたから何時に寝よう」

 

とかそんな次元の話をしているわけではない。

 

 

あふれんばかりの他人が作り出した情報を取捨選択する際の思考

 

について話したい。

 

 

例えば、先の熊本の地震

大きな被害を伴い、亡くなった方や未だに救助を待つ人がいる。

 

非常に心痛ましい事件となった。

 

このニュースを見て大半はどう感じたのであろう。

 

「へえ」

で済ませたのであれば、人として何かしら問題があるだろう。

同じ日本に生きる国民として、力になりたいという思いはなかったのか。

 

死傷者数を見て「意外に少ないよかった」

で止まっている奴ら。

なんで少なかったのか考えたか。

九州は人口密度が低く、人口密集地帯が分散していたから少なかった。

でももし、都心で同じ地震が起きたらどうなっていたか、まで思慮が行き届いたか?

 

テレビに映る報道者の多さ。

なんで報道の奴らがあんなにあの場所に群れたがるのか考えたのか。

特ダネになってアイツら報道関係者がそれをネタに飯食うためだ。

その証拠に偽善振りかざしてるのがSNSの炎上投稿でお分かりだろう。

 

素晴らしい善意を持って、物資を送った人もいるだろう。

だが、熊本に今個人の物資が届かないのは知っていたか。

 

企業活動を自粛している大手の奴ら。

経済活動自粛によって日本の経済がどれだけ停滞するのか予測はしたのか。

本当に自粛することが熊本の人のためになるのか?

自粛はただのブランドイメージ保持のための演劇か何かか?

 

 

情報は鵜呑みにするだけではいけない。

精査しなければならない。

 

 

難しい言葉で言えば、一次情報を探すこと。

すなわち信頼できる情報源を探し当て、その情報から物事は考え出すべきだ。

 

論文を書くときもこの思考だ。

一次情報・出展は欠かせない。

 

 

もっと身近な例だと、

「誰々がこんなこと言ってたからこうに違いない」

「ここに入社すれば絶対安泰、だって誰々が言ってたから」

とかいういかにも間抜けな奴がいるが、

 

お前はオウムか。

お前自身はどう思うんだよ。

 

大学くらいまでは他人の意見におんぶに抱っこで生きていける。

だが、自分の頭で考えて情報を精査し、選択できなければ社会では成功できない。

 

 

世の中は頭のいい”誰か”がルールを作ってる。

それにさえ気づかず情報を鵜呑みにし続けて生きるならば、

“誰か”の情報に踊らされて生き続けることになる